―お知らせー

この食と健康の和の活動を 
今月、7月いっぱいで終わりにさせて頂くことになりました。

2013年初頭から活動を始めこれまで3年半、
比嘉良丸さんに伝えられている啓示に基づき、

次世代に健康で健全ないのちを繋げていく為に、

生産性重視や利潤追求のみで安心できない
食についての危険性を調べ、且つデトックスによって
健康体の維持・向上を目指せる情報発信を主な取組みとしてきました。

私たちのこの活動が世の中へどれほど浸透できたかは分りませんが、
近年、食の安全性への気運が世の中でも高まってきたと思っています。

これまで、私たちの発信する“食と健康の和便り”そして
“食と健康の和ブログ”を読んで下さり、
またカレッジへも参加してくださった方々、ありがとうございました。

これを基にして、次には「子供たちの未来のために()
ということでの活動を始めて参ります。

皆さま こちらへも期待して頂き、
ご協力及び参画もして下さればとお願い申し上げます。

皆さま、本当にこれまでありがとうございました。


食と健康の和 福島仁志

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「復興」の定義? チェルノブイリへのかけはしホームページから転載


6月セレモニーのスタッフ、福島県郡山市の伊藤圭子様が所属されるNPO団体、
NPO☆はっぴーあいらんどネットワーク様(右リンク集に登録させていただいております。)
によるイベントが10月4日5日に猪苗代で開催されました。

みなさまご存知、野呂美加さんの
「チェルノブイリへのかけはし」も展示で参加されたとのことです。
そして、そのときに、野呂さんが福島で始めて希望に出会えたと
おっしゃっている記事がございますので
以下、謹んで転載させていただきます。
魂の力が出てくる泣ける一文です!
みなさまの胸にある言葉にならない思いが、
ここにあるのではないでしょうか。
管理人にとっては、実に、それでした。
是非、ご一読をお願い申し上げます。
では、転載させて頂きます。

転載はじめ

「復興」の定義?
10月 6th, 2014 · No Comments

 はっぴーあいらんどネットワークに展示で参加させていただき、本当に良かったです。
二日間に渡るイベントでしたが、私にとっては、福島に何度通っても、希望が見えなかったけれど、はじめて、希望に出会えたと思って、フィナーレの公演をみて、泣いてしまいました。

 この感動を言葉にするには、ちょっと時間がかかるかもしれません。
それは、今年の8月に行ってきた、ベラルーシはじめ旧ソ連国への公演を思い出していました。

 福島では熱に浮かれたように、「復興」「復興」と叫ばれていますが、まず、復興ってなんですか?
何を目標として復興って言ってるの?

 日本全国中、大都会以外は、人口の年齢比が崩れて、地域そのものの崩壊が始まっている、限界集落にまで落ちてしまったところさえもあります。
 これは、就職がないから、そして文化が、都会と地方であまりに開きすぎていることも、若い人には魅力に思えないでしょう。
そして、地方独特の濃い昔ながらの風習による人間関係。
 あそこのうちは晩ご飯何食べた?まで知っているような。

 その地方の「過疎」状態は、日本の戦後の経済発展のゆがみ、そのもの。
儲りゃ、なんでもいいべ、と。
 地方に原発という「トロイの木馬」を引き入れたことがそもそも、不幸の始まります。
その反省なくして、復興はありえない。

 どの地方経済も疲弊して、経済はがたおちで、若い人材もいない‥。
万が一、アベノミクスが成功したとしても、それは都会や投資家だけが得をする世界。
(地方再生‥について、まだ集金システムをつくるのかな?新しい部署ができましたね)

それで、どうして、福島だけが復興できるんですか?被災地だけが復興できるんですか?

俺たち、私達、あるいは福島の子どもたちががんばれば‥って、どうやってがんばるの?
実際には福島だけに就職があるわけでなく、高校生の新卒が、原発処理作業者に応じていく‥。
それ、復興ですか?

他県の修学旅行を福島に呼び込んで、福島観光させてそれが復興ですか?
先日の、福島県知事選の公開討論会で、「福島で被曝させて返すなんて失礼ではないか」と言ってくれた候補者がいてくれたそうです。

食べて応援として、検査のいい加減な、かつ放射能を含んでる前提の、そういう食材を給食に提供して、それが復興ですか?

復興とは何か?
福島県の人の語る復興に、他県の疲弊した経済を超えて、放射能というハンディキャップを超えて、何か特別な奇策は見えない。
結局は、高汚地帯に残留させられて、放射能の危険に目をつぶって生きていることを「復興」と呼ばされているだけなのに。
そしてそれを戦争当時のように、脱落しないようにお互い監視させられあっている。
除染景気、修学旅行景気。

これを復興とは言わない。

では質問する。
除染と修学旅行を「秘密」に指定されれば、それについての報道さえも、あるいは国民から行政へ質問されることは許されないでしょう。
そして、ある日、除染への予算がストップしたら、それはどうなるんでしょうか?
目の前のお金の動きは、川の流れでしかないことに気づくはずです。
自分でつくったものでなく、干上がってしまう。

どこの日本の過疎の町でも、人が増えていかなければ、賑いがもどってこないでしょう?そこにみんな頭を悩ませている。
私達が戦後生きていきた経済体制そのものの、矛盾、いびつさ、傲慢さ、誰かを犠牲にしないと成り立たない、などそうした性質が目に見えてきただけです。
官僚は、国民が収めてきた年金をどこかに消してしまっても、平気で人生を楽しめるほどの退職金を何回ももらえる道を用意していく。
そうやって、日本が今虫食い状態で、その最たるものが「フクシマ原発事故」。
事故の真相をかくして、人々の目をそらして、問題を置き去りにしていくので、次から次へと犠牲者が出て行くでしょう。

 被曝させたことをわびもせず、「失礼だ」とさえも思わないように、県民がコントロールされているのを見ることほどつらいことはない。
 不安を口にしたら「非国民」という言葉で口を封じようとしてくるそうです。
「非国民?あなた、戦争時代のつもりなの?戦争とのときも同じことを言って、国民を空襲や原爆にさらして犠牲にした人たちの仲間なの?」と言い返す‥なんてことは、夢のまた夢。

 だけど、おかしい‥ってわかる。

そういうおかしな世界で、子どもたちが、大人のやっているそういう背中を見ている‥。
福島県だけでなく、他県の汚染のある地域、あるいは給食やがれきなどで、私たちが妥協していることを子どもたちが尊敬しているとでも?

 大人は小さな子どもたちをコントロールできているつもりでも、子どもたちには子どもたちの世界があることを忘れてしまいましたか?
 子どもは力がなく大人に頼って生きるしかない。
そういう環境に適応を強制されている存在です。
 日本人は、「ホンネ」と「建前」を使い分けられるように強制されていく、空気を読んでいく訓練をさせられる不思議な国ですが、今回は許容範囲を超えています。

ベラルーシの精神科医のかたのレクチャーから。

「90年代の子どもたち(チェルノブイリ事故から4年以降‥)自分の健康を害し、周りもこわし、情動が安定していない。
良い、悪いの見分けもしない、気分の変化も激しい、話し合えない→他人との関係がうまくつくれない
保養に来たけれど、慣れない。
友達になったと思ったら関係を断つなどの不安定、自信がない。

不安感、不信感、非社会的要素、注意事項に対する興奮、睡眠がよくない、すべての怖い話題の内容は事故のことに関して。

『自分たちが守られてない』、という気持ち。
周りに対する無関心。
ゲームに参加しない、喜びに参加しない
新しい生活をつくたり、適応能力に欠ける
自分を助けてくれないという気持ち。
一つのアクティビティに関して集中力が欠ける、表現できない。
勉強に問題。」

 この子どもたちの症状をきいて、まさしく、かけはしが1992年から保養で受け入れた子どもたちの精神状態に一致していました。これらの精神症状は、一人ひとりでみていくとその子の「個性」とされ、家庭の責任におしつけられがちです。
しかし、地域全体の子どもたちがそのようになってくると、学校も荒れて、地域も荒れていく。
 最初は首をかしげて、民族性なの?とさえ思う。
 ゲームを途中でなげだす、突然怒り出す、情動の不安定、疲れたといってゴロゴロして、交流もしたがらない。
などなど。
 
『自分たちが守られてない』というのは、まさしくフクシマ原発事故のあとを生きている子どもたちが感じていることでしょう。
大人たちは、甲状腺がんは、まるで盲腸か何かを切除して終わる簡単な癌だと思っているようです。
それが真実だったら、チェルノブイリで大騒ぎする必要もなかったでしょう。
そんな簡単なことじゃない。
そして、問題の本質から目をそらしている会話を子どもが聞いている、あるいは子どもに説明している。

そうじゃないでしょ!って子どもたちは叫び出したいと思います。

 事故のあと、放射能が撒き散らされて、子どもたちはそれだけでも不安なのに、「ダイジョウブ、心配することない」というふうに、言わないと生きていけない大人たちの姿を理解せざるを得ない。
 大人は口で言うだけ、ですよ。安全を!
子どもたちはヘルメットも、マスクも、防護服もない中で、高汚染にさらされて大人と同じ被曝を強要されている。
 この気持を押さえ込めると思うほうがどうかしている。

 子どもからすれば、街をウロウロ開いている強盗が家の中にやってきて、親も家族も自分も見えない剣でさされても、大人が「復興しましょう」と強盗を支援していることを目撃するしかない。

 当然、親が学校と闘って、守られている子どもを攻撃したくなるのは、人間の性。
かわいそうに‥。精神が落とされていく。妬みそねみ、うらみの世界を生きる。

その不正義、嘘、脅迫されている自分の親たちの姿、抑圧、言葉の暴力、それら全てを受け取って、それを心の栄養にして大きくなっていく子どもたちが思春期に来たら精神を病む。
 大人が理想とする「いい子」を演じる子、演じさせられる子、もときには高校生の中にいるでしょう。
 しかし、人間関係を適切に築いていく、という学習が成立していない。

 不正義を行う人間を説得して、自分の言いたいことを伝え、交渉していく力が育たないから、結婚しても就職しても人間関係につまづく、まして、甲状腺障害(甲状腺にまつわるさまざまな不調や病気)になれば、精神不安定が副作用でついてきます。イライラしてきれやすくなる、情動不安。
 
 それらがまぜこぜになって、子どもの人生がうまくいかない。
平和な時代なら、それでもなんとか地域や親戚がカバーしてくれても、みんながそうなったとき、大人もまた気力の限界、嘘の世界で暮らすことが、自分の心を病ませ、問題を起こしていく。

 それが、チェルノブイリの汚染地帯に残された人たちのアルコール中毒や薬物依存を引き起こしました。

 頭の上から、放射能の死の灰をかぶった子どもたち、はアルコール中毒になれたけれど、その次の世代は、アルコールさえも飲めないぐらい健康が低下する。

 はっぴいあいらんどで希望を見た‥というのは、放射能対策とかそういう政策的な問題ではなく、技術的にも精神的にも切磋琢磨された芸能(踊りや音楽や表現)の人間のパワーを、見たからです。
 子どもの発表会レベルの、そのようなものではない。
 人間の魂とは何か、生きる喜びとはなにか、日々、考え、向き合って、技術の向上に精進してきた人たちしか到達できない、舞台で発せられないエネルギーに出会えました。
 精神性‥人間が人間としてありのままの生きるエネルギー。(言葉で言うとなんのこっちゃですね)
 私達がベラルーシで行ってきたことが、福島でも実現されていた。
 
 何μSvの被曝だからダイジョウブとかダイジョウブジャナイとか、そういう数字で命をはかるような姑息な世界ではない。

私達の命は天から与えられ、その生命を肉体をともなって最大限、味わって、また次の世代へその経験のチャンスを渡していくだけの存在。それが私達の原点。
共に生きるからクニをつくり、支えあう。その日本の太古からの先祖たちの清い思いを、今に伝えようとしている。
汚れのない日本の精神を踊りで表現し、その思いを会場で共有できる人々。

にわか右翼にわかるまい。
ニセ復興にわかるまい。

人間がいきいきと自然に、お互いの気持を尊重し合い、いたわりあう世界。

今は、抑圧し合い、監視し合い、押さえつける真逆の世界を、創って、おまえさんの精神もいつか壊れ、その前に周りの弱いものの精神がまず破綻し、身体もおいついていかなくなる。

復興とは、何か?

人間の魂が、喜ぶことをすることじゃないのか?
私達はふるさとのために、生まれてきたわけじゃない。
私達が生きたところが「ふるさと」になっていく。

原発事故を語るとき、「福島」という文字を使うのはやめるときが来ていると思う。
「フクシマ」は、汚染された全関東・東日本に、今、ある。
そして日本中に汚染をばらまいて、逃げられないように退路を絶とうとしている。

この腐敗した経済、腐敗した政治。

そこから「復興」するには、魂がいきいきと嘘のない世界を生きることでしか近づけない。
踊り、群舞を見ていていると、間違った道を指導している人たちでさえも、いつか正しい道に戻って欲しいと願っていました。
敵も味方もなくなる、みな自分の魂の叫びに従って生きるだけ。
その日を夢見ることが、福島でできた。
それは鳴動の始まり。

それを形にしていくのは、私達自身です。

転載おわり。
大文字強調は管理人によるものです。

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